お知らせ

令和元年6月号「養蚕のまち」挙母町支えた加茂蚕糸

2019.06.03

 今年も、JAが管理している「加茂神社」の祭礼を挙行しました。豊田市の前身である挙母町は、明治から大正、昭和にかけて、三河地方唯一の繭の生産地として栄えた「養蚕のまち」でした。

 およそ100年前の大正6年に、木下冨氏が、加茂製糸所を創立しました。以来、木下家(冨、信、隆平)三代にわたるこの養蚕業に対する偉大なる功績により、その後、事業をどんどん拡大していきました。中堅の製糸工場から、戦中・戦後の時代を乗りこえて「加茂蚕糸販売農業協同組合連合会」へと、県外への出荷を中心に、安定した生産体制を確立しました。当時の地域経済、養蚕農家にとってなくてはならない、大変重要な組合組織でした。組織の発展に合わせて地域も成長してきたその社会的貢献は大きなものがありました。

 「加茂蚕糸の歩み」という記念誌によると、トヨタ自動車がこの地に進出する以前、この加茂蚕糸の工場は、大変多くの女性の職場だと書いてありました。

 昭和37年には300人を超える女性従業員がいたそうです。その女性従業員のために、戦前は工場の中に女子青年学校を作って学ばせたり、お茶・お花の花嫁修業もやっていたそうです。戦後は、豊田西高校の定時制にも通わせていたし、工場内に保育園まで作って、従業員の暮らしを支えていたと書いてありました。

 しかし、昭和30年代後半から、二次、三次産業の発展に押され、養蚕農家の減少もあって、昭和56年に製糸業の廃止となりました。以来、養蚕農家もなくなって、平成10年に豊田市農協がこの「加茂蚕糸」を吸収合併しました。そして、これまでの功績とその哲学を後々まで継承していくこととなりました。

 小坂町の豊田産業文化センターの庭には、今でも木下信(初代会長)の銅像が立ち、その少し南側のJAの敷地に、小さな加茂神社があります。今年の祭礼には、加茂蚕糸販売農業協同組合連合会の最期の会長である川合直道さんや木下家の子孫の方の姿はありませんでした。少し残念ですが、JAとしては、これからも、変わりなく祭礼を続けてまいります。